先日、お迎えの車の中で娘がポロっと言った。
「(担任の)先生があんなに怒ったの、初めて見た」。
「どうして怒ったの?誰に?」
「隣の席に座っているY君が、私に
“I will kill you when I turn 10.” って言ったの。
それで先生がY君に怒ったの」。
勢いで、というよりは計画とも取れるこの発言に
冗談ではすまされないかも、と思った私。
ダンナともう一度、何が起こったのか
娘に聞いてみることにした。
「ケンカでもしたの?」
「ううん、何もしてない」
「急にY君がそうやって言ってきたの?」
「机に座って課題をやっていたら
横にY君が立っていてそうやって言った」
「もう一回、なんて言ったか教えて」
「だから(もうあまりその話には触れたくない様子)、
“I will kill you when I turn 10.
Pack up and run as soon as possible.
I can’t wait to turn 10.” って言ったんだってば」。
(10歳になったら殺すぞ。
すぐにでも荷物をまとめて逃げたほうがいいね。
10歳になるのが待ち遠しいよ)。
娘の話によると、
担任の先生はそのあと、厳しくY君をたしなめたようだが
子ども同士の小競り合いにしては
やはりその内容の過激さが気になる。
さっそくダンナが担任にメールを書いた
(クレームはダンナの仕事)。
「Y君の暴言について娘から報告を受けました。
冗談にしても度が過ぎるし、
本気だとしたら学校の安全性に疑問符がつく。
何か対処を考えておられますか?」
すると、担任からすぐに返信が来た。
「私も同感です。
このような暴言は許されることではありません。
Y君には教室で厳しく注意をしましたが、
内容が内容だけに、すでに校長に対応をお願いしてあります。
近日中に校長が当事者二人それぞれに話を聞き、
その内容や事後の対応について報告をしてもらう予定です。
また、Y君の保護者とも面談を行います」。
今年の担任は、保護者からの評判も良く
新学期の面談でもとても良い印象を受けていたが
問題にも毅然と対応してくれている。
しかもスピーディ。さすがだ。
日本では「殺すぞー」なんて
遊びの中でも言ったりするし、
所詮2年生なんだから、という私を尻目に
かなり動揺していたダンナも
これで少し落ち着いたようだった。
その翌々日、校長先生からの電話。
「今日、双方の子供から話を聞きました。
Y君はもちろん、本気でそんなことを言ったわけではなく
かなり反省しているようです。
お嬢さんにそんなことを言った理由は、
課題を終えてしまったお嬢さんが周りの女子たちと話を始めたため
彼は集中できなくてイライラしたようです。
英語が母国語でない彼は
(Y君はヒスパニック系だ)
いつもクラスメートたちがさっさと課題をやってしまうのを見て
歯がゆい思いをしているのだと思います。
また、なぜ10歳になったら、と言ったかについては、
彼が現在、4年生(10歳)の上級生にいじめられているようで
『自分も10歳になったら強くなれる』と
言い聞かせていたフシがあるようなのです。
Y君はお嬢さんに直接、謝りましたし、
『これまでのフレンドシップを台無しにしたくない』と
涙を流していました。
この涙は、私に叱られたという反発の涙ではなく
心から反省した涙だったと私には思えます。
この後、彼のご両親にも
通訳を交えて全ての経緯を伝える予定です」。
たまたま、病気で長期療養中の校長に代わって
来ている代理の校長が対応したのだが、
私たちの不安は一気に消し飛んだ。
いじめが背景にあったことや
本人から反省の気持ちをこれだけうまく引き出したのは
見事というしかない。
いじめについても別途、対応を考えているようだ。
この校長がずっといてくれればいいのに、と思ったぐらいだ(笑)。
アメリカの学校は、いじめや暴言(禁止用語などの使用も含む)には
厳しいと聞いていたが、それは本当だった。
いじめが深刻な問題になっている日本でも
そのぐらいの断固とした対応を
そろそろ始めるべきかもしれない。
芽は小さいうちに積むのがベターだ。
娘の問題は解決したが、一方で
英語を理解しない両親の元で育っている
ヒスパニック系の子ども達への指導の難しさ、という
別の問題も明らかになった。
小さな問題でも見過ごさずに声を上げることが
思いもかけなかった問題に気づき、
対応を考えるきっかけになることもある。
それを悟った出来事だった。