カテゴリー別アーカイブ: スクールイベント

バーチャル卒業セレモニー

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6月16日
卒業パレードの前日、娘と一緒に
車のデコレーションをした。

このためにAmazon で買った水性チョークで
車の窓をお祝いのイラストやコメントで埋め尽くすのだ。

結婚式を挙げたばかりのカップルが
派手に落書きをした車でハネムーンに出かけるシーンを
映画などで見た覚えがあるが、
あれにはこの水性チョークというシロモノが使われていたんだなあ、
などと思いながら仕事に取り掛かった。

Congratulations! などはもちろんだが、
You did it! (よくやったね)、
Class of 2020(2020年卒業)、などのフレーズや
学校のマスコットのクマ、
紙ふぶきやリボンのイラストを
10色のチョークを娘と取り合いながら
あちこちに描いていく。

チョークとは言いながら、見た目はマーカーそのもの。
ペン先のフェルトの部分を押すと液体のインクが出てくるが
ガラスにペイントするとすぐに乾き、
ペーパータオルで拭くとポロポロと粉になって落ちるので
色が残ったりガラスを傷つける心配はなさそうだ。

運転席の前の部分だけを残して
ガラス窓というガラス窓を隙間なく埋め尽くすと
娘は満足したようだった。

その後、夕方6時からのバーチャル卒業式のために
いつもより少し早く夕食を済ませた。

そして6時。
テーブルにラップトップをセットアップして
家族3人でスタンバった。

録画ビデオを各家庭で見るだけなので、
後から考えるときっかりその時間でなくてもよかったのだが
やっぱり他の同級生もみんな一緒に見ていると思うと
少しセレモニーらしい気分になる。

校長先生の言葉、
生徒会長のスピーチのあと
科目ごとの優秀者に贈られるLanducci Award(アワード)の表彰があった。

Landucci Award は、この学区出身の歯科医Mr. Landucci の寄付によって
創設された基金による奨学金で、
学区内の小中学校それぞれの卒業生の中から
算数や理科などの科目や校内活動などいくつかの領域に
数名ずつが選ばれるらしい。

なんと、うちの娘はScience(理科)で名前を呼ばれた。

「Science、得意だったっけ?」と不思議顔のダンナと私に、
「私のレポートは、いつも図解が上手だってほめられてたからね」
と、したり顔の娘。

まあ、どんな理由であれ
Award を受賞しただけであっぱれ、と素直に喜ぶことにした。

Award 表彰の後は担任による卒業生の紹介。

宿題になっていた自己紹介のスライド
ここで披露されるのだ。

スライドには
各自が書き込んだクラスメートへのコメントに
担任からの本人へのコメントが追加されていた。

「xx君は(さんは)〜な性格で、
クラスメートたちはxx君(さん)のことを〜と思っています」と、
本人の人となりが先生とクラスメートの目から語られている。

娘の学年には100人弱の同級生がいるが、
「この子、x年生の時、同じクラスだったなあ」とか
「大人っぽくなったねえ」とか言いながら見ていたら
あっという間に終わってしまった。

これでバーチャルセレモニーは終了。

校長や生徒会長がともに
「パンデミックによって困難や失望、不満と向き合い
それにどう対処するかという人生における大事なライフスキルを学んでいる」
という内容のコメントをしていたのが印象的だった。

Shelter in Place が導入されて3ヶ月。
ライフスキルで乗り切れるうちはいいが
夏休み、新学期、と困難や失望が継続しそうな気配の中、
アカデミックの進度や心身の健康への影響が気になり始めている。

昨年に続き2回目のスクールミュージカル。今年は『Aladdin』

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小学校が主催の年に一度のミュージカル、
今年の演目は
『Aladdin Jr.(アラジンと魔法のランプ)』。

昨年の『美女と野獣』で
ミュージカルデビューをした娘だが、
相変わらず、ソロのセリフや歌のある役は嫌だと言って
オーディションなしのベリーダンサーの役をもらった。

年明けから週三回の放課後の練習が始まったが、
一ヶ月も経たないうちにもうすべての音楽と歌詞を
覚えてしまっている。
自分のパートだけではなくストーリー全体のである。
子どもの記憶力の良さには改めて驚かされる。

娘が毎日のように家でも歌いまくるので
私も気がつくとその歌を口ずさむようになったほどだ。

本番直前の一週間は
毎日、6ー7時ごろまで会場(学区内の中学校の体育館)でリハーサル。
ビーズがジャラジャラついた
アラビアンな衣装も配られた。

金曜夜・土・日の3日間の舞台の日には
保護者もボランティアとしてお手伝いをすることが求められる。
売店で売るドリンクやスナック菓子の寄付、
売店の売り子、チケットセールス、楽屋や舞台裏での進行係、
最終日に行われるキャストパーティ(打ち上げ)の準備などだ。

私もボトル水6ダースの寄付と進行係の手伝いをした。

本番を迎えて興奮している子どもたちを落ち着かせ、
衣装や小物を確認して舞台に送り出す進行係は意外と大変。
(会場に座ってミュージカルを観ることができないということにも後で気づいた。。。)

女の子同士のケンカを仲裁したり
小物をどこかに置き忘れてそのまま送り出さざるを得なかったり
舞台裏ならではのドラマやハプニングもあった。

観客席に座ってパフォーマンスを観れた日もあるが、
投げられたパンをアラジンが受け取り損ねて舞台の下に落としてしまったり、
娘も、隣のダンサーと衣装のビーズがこんがらがってほどけなくなってしまったり、
やっぱりハラハラさせられた。

それでも、「何があっても歌い続けること」と
言い聞かせられていた子どもたちは
動揺をうまく隠して見事に役になりきっていた。

去年に比べて随分完成度が高いと
指導するディレクターも言っていたが、
「たかが小学生のお遊びのミュージカルと思って来たけど
けっこうよくできてるね。
来年はうちの子にもやらせようかな」
と、クラスメートのパパ。

会場の音響も今回の方がずっとよかったこともあり
確かに落ち着いて観られたような気がする。

現在や歴代の担任の先生たちも駆けつけてくれ、
水泳のコーチやアフタースクールプログラムの
インストラクターたちも観に来てくれていた。

最終日にはダンナと私からも
スターの娘にバラの花束が贈られた。

その時は打ち上げパーティのことで頭がいっぱいだった娘も、
パーティから戻ると
「もう明日から練習ないんだね」と、少し寂しそう。

また来年もやる気満々のようだが、
チームで何かを成し遂げた時の達成感と
音楽(とダンス)の楽しさを体感してくれたのなら御の字だ。

でも、来年は。。。。

今度こそ、何か役をもらってソロをやってくれるかな、、、。
と、密かに期待を抱いている私なのであった。

End of the Year Party での「Most xxx Award(もっとも xxx だったで賞)」の授与

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夏休みまであと2日となった14日、
娘のクラスでEnd of the Year Party が行われた。

パーティといっても
Kindergarten やTK のときとは違って
子どもたちの歌やプレゼンテーションなどの出し物はなく
親としては少しがっかり。

Kindergarten(子どもの誕生日によってはその前の一年間のTK)は
『小学校の最初の一年』であり、
パフォーマンスなどで子どもたちの成長を見せることで
保護者からの信頼や安心感を得るというのが目的なのだろう。
一年生以上になると、もうそんな必要もないというわけか。。。。

パーティは、担任からの保護者への感謝状授与から始まった。

クラスの保護者を代表して
イベントの準備や備品の手配など
担任のアシスタント的な役割をするRoom Parent、
研修を受けてクラスで美術を教えるというボランティアプログラムArt in Action を受け持つママ、
コンピュータクラスのヘルプママ、
クラスに割り当てられた小さな畑で植物の世話を指導するガーデンママ、
宿題のコピー、日々の算数やリーディングの指導の手伝いをするママなど
定期的に担任をサポートしてきたママたちにギフトが用意されていた。

私も、毎週月曜日に一桁の足し算の暗唱や
家庭で英語を使わない子どもたちの英語の本読みの練習を手伝ってきたので、
クラスの子どもたちのサイン入りの鍋つかみと
担任の感謝の言葉が書かれたカード(写真)をいただいた。

実は、その前の週にも
ボランティアに参加した父兄たちに感謝を表す
教師主催の『ボランティア保護者のためのお茶会』というのが催され
軽食と飲み物でその労をねぎらってもらっていた。

学校の価値やその教育の質は
ボランティアの協力のレベルによって決まるとよく言われるが、
だからこそ学校側も感謝の気持ちを表すことを忘れない。

子どもたちも、何枚もの鍋つかみにサインをしながら
ボランティアのありがたさと感謝の気持ちを表すことの大切さを学ぶのだろう。

受け取ったママたちもみんな笑顔だ。

続いて、クラス全員への賞状授与が始まった。

『xx(君)はベストアスリートでした』

『xx(ちゃん)は誰よりも本読みが大好きでした』

『xx(君)はこの一年間で一番成長しました』

など、それぞれの子どもたちの
得意分野やがんばった項目を担任が読み上げ、一人一人に賞状(写真)を渡す。

娘は、
『クラスで一番みんなを笑わせました』
という賞だった。

家でもおふざけが過ぎることがよくあるが、
学校でも三枚目なのね。
賞をもらえたのだから、授業の邪魔にはなってないのだろうけど。

あとで、「どんなことして笑わせたの?」と聞いても
「別に何もしてないよ」としらばっくれている。

厳しさが足りないという保護者もいたが、
私はこうやって子どもの良いところを伸ばしてくれようとする
娘の担任の先生に感謝している。

そのあと、フルーツやクッキーのおやつ(もちろん、保護者の持ち込み)が振る舞われ
パーティは終了。

パーティとしてはあっけなかったが、
あと一日で娘も一年生を卒業するのだなあ、と
毎年のことながらちょっと感慨深い一日でもあった。

歩いて走ってFundraising、日曜日のWalk-a-Jog イベント

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年度末に隔年で行われているFundraising(PTAの資金集め)イベント、
Walk-a-Jog が行われた。

アメリカの学校のPTAのもっとも大きな役割は
Fundraising と言っても過言ではない。

毎年、新学期の初日にはPTAから寄付金募集の用紙が配られ
数百ドルから数千ドルの寄付をするよう強く依頼される。

州の予算の削減のおかげで削られがちな音楽や美術などの授業や
学校図書の充実、生徒が利用するコンピュータの購入などは
PTAが調達するお金に頼らざるを得ないのが現実なので
任意ではあるが、まずどこの家庭もいくらかは払っているだろう。

それに加えて、年中、工夫を凝らした
大小さまざまなFundraising イベントが行われている。

例えば、
・特定の日に特定のレストランで食事をすると飲食代のx %が学校へ寄付される
・毎週特定の日のランチの時間にスムージーの販売が行われ、売り上げのx %が学校へ寄付される
・父兄が自慢の料理を持ち寄りその腕を競う料理の鉄人イベント。テイスティング料$70-90はすべて寄付
などだ。

Walk-a-Jog もそのイベントの一つだが、
その仕組みはこうだ。

ガン撲滅のマラソンのように
生徒がそのイベント(学校の運動場のトラックを30分間歩く、または走る)への参加を表明し、
それに賛同してくれた人から寄付を集めるというもの。

本来は近所の人、親戚などに声をかけて
寄付を集めるものらしいが、
自分の子供がウオーキングイベントに参加するからといって
お金をもらいにはなかなか行けない。

せいぜい、おじいちゃん、おばあちゃんにちょっと出してもらうか
親が自腹で寄付をしているのが現実だ。

だから、そのイベントのことは知っていたが
実は、参加するつもりはあまりなかった。

だが、イベントが近づいていきたある日、
娘が聞いてきた。

「ママ、Walk-a-Jog 申し込んだ?」

「え、まだだけど、出たいの?」

「一番たくさんの参加者がいたクラスは
ピザパーティのごほうびがあるんだって。
うちのクラスもそれを目指してるから申し込まなきゃダメだよ」

「でも、歩かなきゃいけないの知ってるの?」

「知ってるよ。お友達と一緒に歩くことにしたから。
しかも、申し込んだらタダでTシャツとトートバッグがもらえるんだよ。
一番たくさん歩いた人にはiPad の賞品もあるんだって!」

「まあ、寄付金を払うことになってるからタダじゃないんだけどねえ、、、」

「とにかく、もうすぐ締め切りだから申し込んでよ、ママ!」

敵もさるもの。
Tシャツだのピザパーティだの、子どもを味方につける術を心得ている。
とりあえず$20を払って申し込んだ。

当日の日曜日、学校へ行ってみると
イベントはかなり盛況だった。

学年別に子どもたちが一斉にトラックを歩いたり走ったりするのだが
みんな意外と真面目にやっている。
ゆるいマラソン大会のような感じだ。

娘も、トラックを33周まわったと言ってかなり本気でiPad を期待していた。

結局、iPad にもピザパーティにも届かなかったが
娘はケロッとしている。
週末にたくさんの友達と会えただけで楽しかったのだろう。
週末に持て余し気味なエネルギーの発散にもちょうどよかった。

『寄付』と聞いただけでつい
「また?」と辟易とすることもあるが、
これだけ規模の大きなイベントとなると
企画・運営をするPTA役員もそれなりに大変だろう。

そういう人たちのおかげで
学校やコミュニティがうまく回っていくんだなと
改めて感じた週末でもあった。

Tikki Tikki Tembo(英語版じゅげむ)の寸劇発表会

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『Tikki Tikki Tembo の劇の発表会を行います。
保護者もぜひ鑑賞にいらしてください』
というレターを数週間前に娘が持って帰った。

どうも、クラスで何らかの劇を練習しているらしい。

娘に劇の内容や娘のやる役のことを聞いてみたが、
「Tikki Tikki Tembo っていう男の子の話で、
私はナレーター13をやる」
ということぐらいしか聞けなかった。

ストーリーは当日のお楽しみだから、と言うし、
ナレーターの役も、13と番号が付いているからには
数なくとも13人がナレーターを代わり番こにやるのだろうが
詳細はわからない。

ナレーターの衣装は赤いTシャツと黒いパンツ。
自前で用意するように、これも数日前に連絡が来た。

火曜日の朝、学校へ行く車の中で何やらモソモソ言ってはいたが
家で練習をしたわけでもなかったので
まあ、大した発表会ではないのだろうと思いながらも
その午後、発表会の場である学校の講堂へ向かった。

学校には体育館がないので
イベントにはこの講堂がよく使われるのだが、
それも全校生徒を収容できるような代物ではなく
イベントはいつもクラスごと、学年ごと、などに分けて行われるのが常だ。

この日も、発表をするのは娘のクラスだけ。
観客は低学年の2クラスぐらいだったのだろうか、
40-50人の小さな子どもたちが
15cmほど高くなっているステージの真ん前に座っていた。

その後ろに保護者用の折りたたみ椅子が20個ほど置いてある。

平日の午後だから、仕事をしている保護者は来れない人も多いのだが
それでも仕事を半日休んで来ている親や
祖父母を連れてきている人もいて、
24人のクラスにしてはたくさんの家族が見にきていたようだった。

劇が始まった。

主役のTikki Tikki Tembo とその弟、母親を含めた6人以外は
みんなナレーター&掛け声役で、
役を持つ6人も、ほとんどがナレーターが読み上げるセリフを
そのまま繰り返すといったものだった。

そこではじめて理解したストーリーはこんなものだ。

『昔、中国にTikki Tikki Tembo-no Sa Rembo-chari Bari Ruchi-pip Peri Pembo
という長い名前の男の子がいた。
ある日、その子が、弟と遊んでいて井戸に落ちてしまったが
名前が長すぎて弟がそのことを母親に迅速に伝えることができず
Tikki Tikki Tembo は大変な目にあった。
それからというもの、中国では名前を短くするというのが習わしになった』。

なんだ、これ、日本の『じゅげむ』の中国版の英語版じゃん。

家に帰ってその話をしたら、娘もダンナも
じゅげむ(寿限無、寿限無 五劫の擦り切れ
海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
藪ら柑子の藪柑子
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助)
のTikki Tikki Tembo どころではない名前の長さに驚いていた。

それにしても、アメリカの学校の発表会というのは
いつもとてもカジュアル。

日本の学習発表会や合唱祭、ひいては運動会などのように
数ヶ月間、放課後まで使って猛練習し、
ほとんど完璧を極めてから披露するという
学校のアクティビティは皆無だ。

娘が課外活動として参加したミュージカル
『Beauty and the Beast』はそれに近い気合の入れようだったが、
それもあくまでも課外活動。
希望者がレッスン料を払って参加するものだから、
学校で行うイベントとは異なる。

だから、学校からの案内もカジュアルだし、
クラス全員の保護者が発表を見に来るという盛り上がりもまずない。
申し訳ないが、(日本のそれに比べると)成果物もそれなりだ。

セリフを間違う子もいるし、
音響も、タイミングやボリュームがうまく調節できないことがしょっちゅう。

私からしてみればかなり物足りないのだが、
『音楽や芸術、演劇などはそもそも情操教育なのだから
完璧にやることが目的ではなく
子どもたちがそれに触れて楽しめる機会があればそれでよい』
というスタンスなのだろう。

そこまで気合を入れてイベントの指導をできる環境がない、というのもある。
安全のため、放課後は即下校しなくてはならないし、
教師の仕事内容や時間も厳密に決められているからだ。

どちらがよい、ということではないのだが、
運動会や学習発表会を見に行くたびに
自分が小中学生だった頃の昔をちょっと懐かしく思い出すのである。