カテゴリー別アーカイブ: 日本の小学校へ体験入学

「また来年、来るからね」と約束してクラスメートとお別れ

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体験入学、2日目以降も
娘は意気揚々と学校に出かけて行った。

私も教室まで一緒について行くのだが、
私たちを見つけるなりお友達が
いつも元気に声をかけてくれるし、
一週間を過ぎた頃には
「学校が終わった後、一緒に遊んでもいい?」
などという誘いもかかるようになった。

友人の担任の先生からも、
「分からないことがあると机まで質問に来るし、
授業中に手を挙げて答えたりもしてるよ。
休み時間も私がはたらきかけなくても
みんなとどんどん遊びに行ってるし、
すっかり馴染んじゃったみたいね」
と、嬉しい報告があった。

一年生の漢字もマスターしていない娘には
書き取りの宿題も一年生レベルのものを出してくれたり、
何週間かかけて取り組んでいた図工の版画では
みんなに追いつくように
家で下絵を作る素材を持たせてくれたり、
彼女の気配りのおかげで
娘も大船に乗った気分になれたのだろう。

娘も毎日のように
学校での出来事を興奮気味に話してくれる。

「今日の給食はなんかのお魚だった。
デザートにはゼリーも出たんだよ。
ちょっと酸っぱいサラダは残しちゃったけど
あとは全部おいしかった」。

「休み時間、いつもはみんなでタイヤ跳びするんだけど
今日は先生も一緒にドッジボールやったよ」。

「プールの時、いつもはみんな地獄シャワーって言ってるけど
今日は暑かったから地獄じゃなかった」。

「来週は給食当番やらせてもらえるんだって。
楽しみだな」。

クラスのお友達から
お母さんの連絡先をもらって
プレイデートも2回ほどできた。

こうしてあっという間に3週間が過ぎ、
体験入学最終日となった。

その日、迎えに行くと、
娘はみんなが書いてくれたメッセージと似顔絵を綴じた
画用紙大の作品集(写真)、
みんなと一緒に完成させることができた版画や
習字の作品をきれいに台紙に貼ったものなど
思い出の品々を両手にいっぱい抱えていた。

「また来年も来るでしょ?」
というみんなの問いかけに娘は
「うん、来るよ」
と、迷うことなく返事をしていた。

「もうみんなに会えなくなるなんて寂しい」
と、夜になるとメソメソしていた娘だが
それほど楽しかったということなのだろう。

あきらめるどころか、来年以降も体験入学は
続けられそうだ。

みんなに数週間遅れて植えたホウセンカの鉢を持ち帰り
実家の庭に植え替えながら、
同級生のクラスに入れてもらえることになった偶然や
純粋な気持ちで受け入れてくれたクラスメート、
手間を厭わずに居心地の良い環境を作ってくれた友人に
思いを巡らせた。

今年はいつにも増していい夏休みだったなあ。。。

万全のプランニングでプチ留学再開

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夏休みには毎年、娘は体験入学という形で
実家近くの幼稚園や小学校に
短い間だけ通わせてもらっていた。

だが、1年生の一昨年の夏
お友達ができなかったり
校内で迷子になったりして
娘がすっかり自信を無くしてしまい、
去年はプチ留学をあきらめた。

さて、今年はどうしよう?

再開するなら早いうちでないと
日本語の授業についていくのも大変だし
友達の輪にもますます入りにくくなる。。。

と迷っていたところ、
高校の同級生で地元の別の小学校の先生をしている年賀状友達のことを思い出した。

学区外だけど、彼女に相談してみよう。

4月の終わりごろ、藁にもすがる思いでメールで連絡すると
「校長が教育委員会と相談の上、了解してもらえたよ。
偶然にも私は3年生の担任だからうちのクラスにおいで。
日本で楽しい思い出を作ってあげなきゃね」
との返事が来た。

もつべきものは友達とはこのことだ。

よくよく聞いてみると、
前にもうちのような体験入学の子どもを受け入れたことがあり、
学校にも外国人の親を持つ生徒が何人かいるようで
受け入れ態勢も整っているらしい。

算数と国語の教科書は購入することにしたが
それ以外は貸してくれるというし、
体操服も前の学校のものでOK、
お習字の道具やリコーダーも何とかしてくれるというから
ありがたい。

「前と違う小学校だけど、ママのお友達が担任の先生だよ」
と言うと、娘も
「ならその小学校に行く!」
とようやく前向きな返事。

前の小学校は実家から徒歩2分、
今度は車で20分だけど、背に腹は代えられない。。。

こうして7月4日、
私も娘も期待と不安いっぱいで初日を迎えた。

下駄箱にはすでに娘の名前が書かれたシールが貼ってあり、
娘の顔がパッと明るくなった。

上履きに履き替えていると、
「ねえ、xxちゃんとxxちゃんのお母さんでしょ?」
と、子どもたちが寄ってきた。
「xxちゃん、来たよー!」と大騒ぎ。

クラスで毎日、カウントダウンをしながら
娘が来るのを待っていてくれたらしい。
「教室は2階だよ」と、案内までしてくれる。

先生(友人)も加わってみんなで教室に行き、
ランドセルをロッカーに入れたり
お道具箱を机に入れたり
水筒を所定の場所に並べたり、
代わる代わるクラスメートたちが手伝ってくれる。

娘の前に座っている男の子などは
朝の会が始まっても後ろを向きっぱなし。
隣のクラスからも
「ねえねえ、xxちゃん来た?」
と教室をのぞきにくる子がいる。

そのあたたかい歓迎ぶりに
「ずっと教室に残っていてね」と不安がっていた娘も
「ママ、もう帰っていいよ」と、手のひら返し。

5時間目の学活の時間を使って歓迎会をやってくれるというので
少し早めに迎えに行って見学させてもらうことにした。

歓迎会は、全員の簡単な自己紹介や
フルーツバスケット(懐かしい!)のゲームなどで
大盛り上がり。

少しはにかみながらも
みんなに交じって声をあげて笑っている娘を見て、
私も涙が出そうになるぐらいうれしかった。

生きた日本語と日本文化を学んでほしいという私のエゴで
娘にかわいそうな思いをさせたかもしれない、と
自責の念にかられることもあったが、
そんな気持ちも一気にふっ飛んでしまった。

そして、いろいろ根回しや準備をしてくれた友人に心から感謝した。

これからの3週間は、
娘と日本との関係が
大きく前進するきっかけになりそうな予感がした。

親が思うほど体験入学も楽じゃない – 娘の告白 Part 2

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「もう日本の学校には行きたくない」という娘の告白のあと、
同じく子どもに日本の学校で体験入学をさせている
数人のママ友だちに、彼女たちの経験を聞いてみた。

「うちもあんまり楽しくなかったみたい。
とにかくルールや決まりごとが多くて
あれもダメ、これもダメ、と言われたらしいよ」

「うちの子は、物怖じしないのはいいんだけど
はっきりものを言い過ぎて周りから少し敬遠されたみたい」

「うちは3年生だけど、そろそろ漢字とかのレベルについて行けなくて
学校に行きたくないって言われた」

「そもそも夏休みなのになんでまた学校に通わなくちゃいけないのかと
けっこう抵抗されたのよね」

など、みんなそれなりに苦労したり悩んでいるのが分かった。

考えてみれば当たり前だ。
日本語がちょっと理解できても
日本独特の、さらにその学校ならではの決まりごとや暗黙の了解ごとには
まったくなじみがないのだから、
何をしていいのかわからずに困ったり
場違いなことをしたり言ったりして笑われたりすることもしょっちゅうだろう。

勉強だって、学習内容はともかく、教科書に出てくるボキャブラリーが
どんどん難しくなるから、日常会話程度では追いつけなくなる。

子どもに
「そんなこと気にせずにさらっと流しなさい」
と言っても、そうはいかないだろう。

うちの娘にとってもまったく未知の世界、
どうしたものかとまごつく様子が容易に想像できることが
ざっと考えただけでもこんなにある。

– 背の順、生まれ順って何?私はどこに入るの?
(アメリカでは並び方を決めること自体がなく、出席番号すらない)
– 給食当番って何?なんで白衣を着るの?
(アメリカでは給食制度がない。
 お弁当持参か事前にオーダーしたパックに入ったランチが配られるだけ)
– 掃除って自分達でやるの?私は何をやったらいいの?
(アメリカでは学校の掃除は業者まかせ。ほうきや雑巾を使える子なんて、、、?)
– 地面に座るときは必ず体操座り。他の座り方じゃダメなの?
(もちろんアメリカでは座り方にルールなどない)
– ランドセル、持ってないのは私だけ
(アメリカではランドセルではなくバックパック。
 高級品化したランドセルは、体験入学のためだけに購入もできず、、、。)

本音では、これらを察して、うまくクラスに溶け込めるよう
担任の先生に配慮をお願いしたいところだが、
「体験入学を受け入れてくれただけでありがたい。
一人分の仕事が増えて面倒だと思われているかもしれないのに
これ以上の要求はできないよね」
というのがママ友共通の見解だった。

娘が、日本の学校に溶け込めなかったというのは
本人の性格などによるところもあるかもしれないが、
性格や対人能力はそう簡単には変えられない。

彼女がとまどいやストレス、不満を感じたであろうことを
これから時間をかけて引き出し、解消してあげるしかないのだろう。

来年の体験入学を実現するためにも、
娘が日本嫌いにならないためにも。

来年からの体験入学危うし? – 娘の告白

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7月23日で1学期は終了。
娘の体験入学も無事に終わり、
その週末にはベイエリアに戻ってきた。

日本語のボキャブラリーも格段に増えたし
今年も楽しい思い出がたくさんできただろう、と
ほっと一息つきかけた帰国当日の夜。

眠りに落ちかけた娘が布団から起き上がり
「もう日本には行きたくない(I will never go to Japan again.)」と号泣し始めた。

その勢いにこちらも動揺してしまいそうになったが
心を落ち着けて聞いてみる。

「行きたくないってどういうこと?
何かいやなことがあったの?
キッザニアとか楽しかったでしょ?」

すると、
「東京には行きたいけど、もうあの小学校には行きたくない」
と言う。

「そんなこと一言も言わなかったじゃん。
急にどうしたの?お勉強もがんばってたよね?」

「だって誰も私と遊んでくれない」

ショックだった。

これまでの幼稚園のときのように
先生やお友達からたくさんかまってもらって
楽しく毎日を過ごしているのだと思っていたのに
そうではなかったということ。

私に気を遣ったのか
そのことを帰国するまで一言も言わずに
毎日けなげに学校に通っていた、ということ。

その夜は、「行きたくなかったらもう学校には行かなくていいよ」
と、どうにかなだめて眠りにつかせたが、
『日本語を学ばせたい』という半ば親のエゴで
悲しい思いをさせてしまったのではないかと思うと
私は娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

翌日以降、私とダンナで「もうその話はしたくない」という娘をなだめすかし、
あの手この手でやっと何があったのかを少し聞き出すことができた。

「お外で遊んでいる時、私の順番になってぶらんことかで遊んでいると
私を待ってくれずにみんなで次の遊具に行ってしまう」

「私に内緒でひそひそ話をしたり笑ったりしている」

聞き出せたのはこのぐらい。
でも、これだけでもクラスでの様子がよく分かった。

最初はモノ珍しくてちやほやしてくれた友達も、
そのうち、背の順に並ぶ時の位置がわからない、
お掃除の時の役割分担のルールを知らない、
給食の配膳やお片づけのルーティンが分からない、
ということがあるたびにからかい半分に笑ったり
仲良しグループの友達の方が大事になったりして
娘のことを気にかけるのが面倒になっていったのかもしれない。

転校生や帰国子女がそうであるように
ちょっとしたいじめの対象となってしまったのかもしれない。

朝、みんなより早く学校に行きたいとがんばっていたのも、
宿題や持ち物の忘れ物がないかと
いつも心配していたのも、
笑われたりみんなの輪に入る機会を逸しないように、という
精一杯の努力だったのかもしれない。

当たり前のように毎年体験入学をさせてきたが、
なじみのない土地で、言葉も文化も違う環境の中での学校生活は
やっぱりそう簡単なものではないのだと改めて思い知らされた。

このままでは、来年からの体験入学は雲行きが怪しくなってきたが
さて、どうしたものか。

娘の告白 パート2へ続く)

ディズニーランド並みに楽しいキッザニアへ

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海の日の三連休は娘と一緒に東京へ行くことに。
6歳の娘でも楽しめそうな場所はないかと
東京在住の妹に尋ねると、キッザニアを勧められた。

大人のする仕事や受けるサービスを
子どもが疑似体験できる職業体験テーマパークということで
首都圏の子どもなら一度は行ったことがあるというぐらい
人気があるらしい。

30度を超える暑さの中、
室内で遊べるというのもありがたい。

事前予約制だったのに、
当日、開館時間の午前9時に着いてみると
入り口の前にはすでに長い列が。

航空会社のチェックインカウンターに見せかけた受付で
ますます期待を膨らませて入場。

人気のあるアクティビティは
入館してからすぐに予約するよう妹に言われていたので
娘がやりたいと言っていたお菓子工場へ行ってみた。

なんと、当日のアクティビティはすべて予約終了。
朝イチに来たのに、もう予約できないってどういうこと?

出鼻をくじかれた気分だったが
これはのんびりとしてはいられないということらしい。

今日の目的といっても過言ではない
『はんこ作り』だけは見逃すことができない。
さっそく、場内マップではんこ屋さんを探し出し、立ち寄った。

「本日最後の回が予約できます」とのこと。
こちらも危なかったが、無事、予約を済ませたあとは
興味はともかく、待ち時間が少なくて体験できるものを
優先的に回ることにした。

スチュワーデスやベーカリー、警察での仕事など
日頃から馴染みのある職業はやっぱり人気が高く
待ち時間が長い。

はんこ作りの予約を午後1時半にしてしまったため、
他のアクティビティの予約を
その前に入れることができないというルールがくせ者だ。
事実上、人気のあるアクティビティを2つ以上体験することは
不可能なようだった。

最初に体験できたのは歯科衛生士。
アクティビティが行われる室内やブースには
大人が同席することはできないので
実際にどんなレクチャーが行われたのかは定かではないが、
薄いグリーンの衛生服を着て、マスクや手袋を付け、
順番に診察台に横たわった患者(実物大の人形)の口の中を
治療用具を手にのぞき込んでいる。
服装だけでなく、その仕草もそれなりに見えるのがおもしろい。

次は、出版社で漫画家体験だ。

実際の漫画の一部が白紙のままの紙が配られ、
その中を自分で好きなように絵やセリフで埋めると
その原稿を印刷し、製本してもらえる。

「自分で本を作った」と、娘はかなりご満悦だ。

昼食のあとは、待ちに待ったはんこ作り。
私が持っている判子や実印を見て、娘も自分の印鑑を欲しがっていた。
今回の日本帰国の際の買い物リストのNo. 1は印鑑だったから
まさにグッドタイミングだ。

自分の名字をひらがなで書き、
それをスキャンしたもので実際のはんこを作ってくれる。
作業そのものは名字を書くことぐらいだが、
これほどうれしい成果物はない。

午後3時の退場時間(午前の部は3時まで)少し前に
やっとはんこを受け取り、娘は大喜び。
それだけでも来た甲斐があるというぐらい喜んでいた。

そのあとは、アクティビティで稼いだお金を銀行に預けて帰ることに。

「どうしたらいいか分からない」と、少しためらい気味だった娘だが
館内のほとんどの子どもが首からぶら下げているあのお財布は
ここでお金を預けないともらえない、と説明すると
意を決して、銀行カウンターに向かっていった。

自分の名前を記入し、手持ちのお金を渡して
口座を作ってもらったのだろう、
本物かと見紛うような名前の入ったキャッシュカードと
それを入れた緑のお財布を無事、もらって出てきた。

子どもたちには、世の中にはいろんな仕事があるのだと
教えられる機会をもつべきだ、と常々思っていたが
キッザニアは、その入口としてじゅうぶんな役割を果たせると思う。
見たり聞いたりするだけでなく、体験できるというのがいい。

子どもが自分でなんでもやらなくてはいけないというのも
うちの娘のような甘えっ子にはいい訓練になる。

待ち時間や予約制限などのルールには少々、辟易としたが、
それはディズニーランドだって同じだし、
娘はディズニーランドに行った時と同じぐらい
楽しそうにしていた。

今回の日本帰国のハイライトはキッザニアだそうだ。

できなかったアクティビティもまだまだたくさんあるし、
また来年以降も来てみようかな。