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1年遅れの思春期トーク(Puberty Talk)~2~

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思春期トークは1日1時間、6日間のカリキュラム。

1−2時間でざっと体の変化についてカバーしただけの

私が中学生の頃(かなり前のことだが。。。)の日本の授業に比べたら

かなり充実している。

 

毎回、特定のテーマについて親と会話をするという宿題も出た。

 

「(私たちは)いつ頃から思春期に入ったの?

その時、何がどんなふうに変わった?」

「自分の性の志向についていつ頃目覚めた?」

「子どもを授かるには自然妊娠以外にも人工授精や養子という方法があるけど

それについてはどう思う?」

など、かなり直球。

 

私は、娘が小さい頃から一緒にお風呂に入ったりしていたし

毎月の周期のことなども早くから教えていた。

 

ダンナも、保守的なカトリックの家庭に育ち

そのあたりの会話はタブーとされていたことに違和感があったらしく

オープンな会話ができる家庭にしたいと考えていたので、

うちでは普段から

男女の体の部分についてのジョークや

LGBT、私たちの昔の彼女や彼氏のことなどについての会話が

よく飛び交っている。

 

だから、ダンナも私も、トークの機会を

手ぐすね引いて待っていたのだが、

ただ今、思春期真っ只中の娘は

そんな話を面と向かって親とするなんてありえない、

と思っているようで、

私が毎回、興味津々に

「今日はどんな話だった?」

と聞くのに対しても

「ママ、なんでそんなに聞きたがるの?変だよ」

と、すっかり引いている様子。

 

この宿題についても

「もうじゅうぶんだよ」

と、早々に切り上げる。

 

それでも、クラスでは

感情の起伏(Mood Swing)や体毛(Body Hair)、体臭(Body Odor)、吹き出物(Pimples)

など、娘が今、一番気になっていることについても

ふれてくれたようだから、

『悩んでいるのは私だけじゃない』

と、ほっとするきっかけにはなったのではないかと思う。

 

敬虔なカトリックのママ友の一人は、

「こんな内容はまだうちの子には早いと思うんだけど」

と、授業に出させるかどうか迷っているようだったが、

友達や怪しいサイトからの間違った情報を真に受けたり

ノリで取り返しのつかないようなことに手を出してしまったりするよりは、

事前に正しい情報を頭に入れておいてもらった方がずっといい。

 

Distance Learning が始まってはや1年が過ぎ、

それまでは自分のタブレットなんて持っていなかった娘も

今ではすっかりYouTube やTikTok がメインのエンターテインメント。

 

残念ながら、想像していたよりかなり早く

頭でっかちなTween となってしまったから、

本質に戻るという意味でも

このカリキュラムの実施はありがたかった。

 

ちなみにこのトーク、7年生、8年生になっても継続するようで

トピックも避妊、タバコやVaping、ドラッグなどかなり過激。

 

アメリカではほとんどの女性が当たり前に使っている

経口避妊薬(ピル)をいつから始めさせるか、

という悩ましい問題についても

そろそろ真面目に考えなくてはならない。

 

思春期トークは、

移民である親の私にとっても

アメリカで娘を育てるという現実について

あらためて思い出すきっかけとなったことは確かだ。

 

新学期に向けて、念のためマスク作り

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8月の声を聞くと何となくそわそわする。
12日から新学期が始まるのだ。

まだ、実際に登校することになるのか、オンライン学習なのか、
はたまた半分ずつのハイブリッドなのか、
最終決定については連絡待ちだが、
登校するとなるとちゃんとしたマスクが必要になる。

こんなにShelter in Place が長引くとは
当初、予想もしなかったので
うちは、日本から持ってきたまま
使う機会がまったくなかったハンカチを折りたたんで
両端にゴムを挟んで作る簡易マスクを使ってきた。

(アメリカの学校や職場などのトイレには
必ずと言っていいほどペーパータオルが設置され
手を洗った後、ハンカチを使う必要がないので、
数十枚というハンカチが戸棚の中で眠ったままになっている。)

さすがに学校が始まったら、
きちんとしたマスクを持たせたほうがいいだろうと考えていたところ、
手作りマスクが流行っていることを知った。

ちょうど家族が着なくなった服やはぎれがたまっていたこともあるが、
夏休みのアクティビティとして
娘と一緒にソーイング・プロジェクトをするのもいいか、と思い立ち、
マスクを作ることにした。

ネットで調べると、意外と簡単そうだ。

型紙を見つけ、プリントしたら
あとは好きな布を切って、
ミシンで縫い合わせるだけだ。

娘も、いそいそと布を切ったりミシンで布を縫い合わせたり、
プロジェクトを楽しんでいる。
久しぶりの母娘一緒のアクティビティだ。

裁縫を教えるのは母親の役目、と
機会を見計っていたのだが
密かにその目的も叶えることができた。

こうやって、私のパジャマのパンツと(写真の上から2枚)
娘が小さい頃にかぶっていた帽子(同下から3枚)を使って
かわいらしいマスクが出来上がった。

旦那は、模様や色は一切入れないで、というので
着れなくなった紺色のスーツを使った。

あとは、このマスクが使える日が来るのを待つだけだ。

この夏、唯一のイベントLake Tahoe 旅行

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Lake Tahoe(タホ湖)へ家族旅行、などというと
なんて不謹慎な、と思われそうだが、
バケーションなしの夏なんて
考えただけでも憂鬱だ。

背に腹は変えられない、と
7月中旬の週末を含めた4日間で
友達家族とLake Tahoe に行くことに決めた。

3月にShelter in Place が始まってから、
それまではほぼ毎週末のように
一緒にハイキングに行ったりボードゲームをしたりしていた
彼らとも2ヶ月以上、会うのを控えていた。

家族以外の誰にも会えない、
どこにも行けない、という生活に
そろそろ耐えきれなくなっていた私たちは
ソーシャル・バブルに挑戦しようということになった。

お互いの家族以外には誰とも会わないという
コミットメントを前提に
2つの家族が自分の家族のように行き来を再開することで、
子どもがいる家族を中心に
受け入れられつつあるコンセプトだ。

「他の家族とは会っちゃダメよ」という
固い約束をして始めたソーシャル・バブルだったが、
その中で夏休みの旅行計画が持ち上がったのである。

アウトドアなら感染の危険も少なく、
ホテルではなく貸別荘に2家族だけで宿泊、
食事はすべて別荘内で自炊すればバブルも保てる、
と、安全第一で考えた結果、計画実行が決まったのだ。

ベイエリアに住んで9年になるというのに
Lake Tahoe にはスキーのできる冬にしか行ったことがなかった。
初めての夏のLake Tahoe ということも重なって
私も家族もかなり楽しみにしていた。

結論から言うと、行って良かった!

Lake Tahoe は思いのほか混雑していて
ビーチで6フィートの距離を保つのはかなり苦労したし、
ビーチやハイキング・トレイルでマスクをしていない人々には
説教の一言でも言ってやりたいぐらいだったが、
透き通るようなきれいな水の湖でのボート遊びや
その湖を見下ろしながら歩くハイキングコース、
旦那たちがせっせと作ってくれたカクテルやBBQディナーは、
パンデミックという世界的危機の真っ只中にいるという現実を
忘れさせてくれるのには十分過ぎるぐらいだった。

娘と一緒に行った同い年のA ちゃんも、
久々にタブレットでのゲームやYouTube のことなど忘れて
大声をあげて水とたわむれていた。

パンデミック以前は
友達と遊んだりアウトドアで新鮮な空気を吸うなんてことを
特別なことと考えたことはなかったが、
今となってみるとぜいたくなことにすら思える。

一方で、
こんな人混みで、マスクもせずに浮かれ気分でウロウロしている輩がいるから
感染が拡大し続けるんだろう、と
(自分たちのことは棚に上げて)
パンデミックのコントロールの難しさも実感したのだった。

カレンダーは白紙、Tween の娘の夏休み

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今年の娘の夏休みは、例年になく早々と計画が立っていた。

卒業式の翌々日から5日間のNIKE スイミングキャンプ、
その翌々日から3週間は日本に帰国、
日本から戻った翌々日から1週間のYMCAリーダーシップキャンプ、
といった具合だ。

YMCAリーダーシップキャンプは
ちょっとしたエッセイを添えて応募したこともあり
無事、選抜された娘はかなり楽しみにしていた。

それなのに。。。

スイミングキャンプは早くも4月頭にキャンセルの通知があり、
ギリギリまで決断をしかねていた日本への帰国の航空券も
5月中旬に泣く泣くキャンセルをせざるを得なくなった。

「7月末のYMCAリーダーシップキャンプは
アウトドアのアクティビティ中心だし
規模の縮小など何らかの方法で実施されるのでは?」
とわずかな希望を抱いていたが、それもむなしく
日本行きの中止を決めたすぐ後にキャンセルの連絡があった。

アクティビティ満載の忙しい夏休みから一気に
文字通り何の予定もない夏休みに変わってしまった。

一日數十分とはいえ、オンライン授業があった学期中はまだよかった。
きちんと朝起きて、宿題をやって、お友達とゲームして、
と、それなりに日々、生活にリズムがあった。

ところが、それがなくなり
家で有り余る時間をもて余すだけになってしまった娘の毎日は、
Distance Learning 用に買ってもらったiPad 三昧。

朝起きたらすぐ友達とチャットを始め、
そのままオンラインゲームに勤しむか
Netflix の番組を見まくるか、だけになってしまった。
一日中パジャマのままで過ごしている日もある。

Shelter in Place で自宅に閉じ込められているせいもあるが
11歳ーTWEEN 真っ只中ーという年齢的な影響も確実にある。

Tween とは、9歳から12歳までの年齢の、
いわゆるティーンエイジャーへの移行期ともいわれる年齢だ。
日本語にすれば思春期ということになるだろう。

私や旦那が声をかけても
冷たい視線や反抗的な言葉が返ってくる。
朝ごはんもランチもなるべく一人で食べたい。

シャワーを浴びに浴室に入ったかと思ったら
ロックをかけてしばらく中から出てこない。

一日中、家で一緒に過ごしているのだから
せめて母娘でアートや洋裁などを一緒に、と声をかけても
「そのうちね」とそっけない。

いつかはくると思っていたが、娘の場合は
小学校を終える今年が明らかにその『いつか』だ。

「ママ、一緒にレストランごっこしようよ」
「ママ、お風呂でアヒルと遊ぼうよ」
と、まとわりつかれていたのがずーっと昔のことのようだ。

その時は、面倒臭いなあ、と心の奥では思っていたものだが
今となってみると、そんな頃が懐かしい。

オンラインとはいえ、友達と話したりゲームをしたり、
家族以外の人とは楽しそうにやっているみたいだが
私と旦那は完全に彼女の世界から放り出されてしまった。

この夏は、私と旦那にとってもちょっと寂しい、
そして退屈なものとなりそうだ。

Graduation パレード

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6月17日
新調したレモン柄のプリントの夏らしいドレスを着た娘は
ちょっと大人っぽく見える。

今日が彼女の小学校最後の日、卒業パレードが行われる。

家族3人でデコレーションをした車に乗り込み、
学校へ向かった。

久しぶりの学校の門の周りには
『2020年クラス、卒業おめでとう』
と書かれた垂れ幕や
青い風船で飾り立てられたアーチなどが用意されていて、
マスクをした先生やボランティアたちが
忙しく動き回っている。

パレードは、クラスごとにスタート地点と走行路が異なり、
それぞれのスタート地点に
11時に集合することになっていた。

開始時間の10分前だというのに
のんびりしたカリフォルニア・タイムのせいか
指定場所には私たち以外にまだ1家族しか来ていなかった。

派手に飾り立てた車の外で時間をつぶす私たちを見て
近所の人が
「これ、何の集まりなの?」
と聞いてきた。

「卒業パレードなんです」と言うと、
「おー、それは素敵なアイデアだね。
 外に出て見送ってあげるよ」
と言ってくれた。

そっか、学校の近所とはいえ、
みんながパレードのことを知っているわけじゃないんだ。
当たり前だけど。

などと考えているうちに、ようやく隊列が長くなってきた
(写真上)。

私たちは言われた通りに水性チョークで
車にコメントやイラストを精いっぱい散りばめたのだが、
ほかの車を見ると
車の上にユニコーンの形をした巨大な浮き輪を取り付けたり
「おめでとう」という文字をかたどった風船を浮かばせたり、
みんなそれぞれに工夫をして車に飾り付けをしていた。

さすがパーティー好きな国民だけある。
派手だと思っていたうちの車は
それほど目立たなかった。

娘のクラスはパレードの最後尾のため、
開始まで少し時間があった。

子どもたちは車を降りて、
マスクをしたまま微妙な距離を保ちつつ
久しぶりの再会を喜んでいた。

そして、トランシーバーを持った案内係の
「では出発です!」という合図をもとに
娘のクラスの隊列が移動し始めた。

卒業生は助手席にマスクをつけて乗り、
正門の前で校長先生から卒業証書とアルバム、記念品などを
受け取ることになっている。

娘のキンダーガーテン(1年生の前の学年)からの
担任の先生方が校門近くで
「おめでとう」などと書かれた看板を持って
パレードに手を振っているのが見えた(写真中)。

TK(キンダーガーテンの前の特別クラス)を含めると
7年もこの学校に通ったことになる。

お世話になったなあ。

私も、娘が入学して数年間は、
イベントのヘルプや担任のアシスタントとして
頻繁に教室に出入りしていたので
これが最後かと思うとちょっと寂しい。

スクールカラーのブルーのジャケットを着てマスクをつけた
校長先生が見えた。

窓越しに茶封筒に入った卒業の品を受け取ったら(写真下)
前進して同じくスクールカラーの
青い風船で飾られたアーチをくぐる。

そのあと、学校の周りを一回りしたらパレードは終了だ。

本当ならあちこちで先生やお友達、その保護者たちと
ハグのしっぱなしだったと思われる卒業式だが
そんな感動的な場面もなく
パレードはある意味、淡々と進んだ。

きっと、普通に卒業式をやるよりも
今回のパレードの準備の方が何倍も労力がかかったに違いない、と
思えるぐらいよく準備されていたが、
やっぱり娘は最後まで納得がいかないようで
「なんだ、これだけ?」とふてくされていた。

この不完全燃焼的な気持ちを
どうやって誰にぶつけたらいいのか分からないのだろう。

感傷的にならなくてすんだという意味では
私にとってはありがたかったが、
やっぱり最後にお友達や先生とゆっくり集うこともなく
小学校の思い出が尻切れとんぼのようになってしまったのは
かわいそうだった。

誰のせいでもないのだけど、
全世界で同じ気持ちを味わっている卒業生がいっぱいいるのだろうけど、
早くこの埋め合わせができる日が来ることを祈らずにはいられない。

こうして娘は歴史に残るパンデミックの中、
小学校を卒業した。

このブログのタイトルも〜娘はアメリカの中学生〜に
変える日が近い。。。