月別アーカイブ: 9月 2017

SF ジャイアンツの『ハローキティデー』ゲーム観戦

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日本からベイエリアに戻り
夏休みもあと一週間ちょっとを残すのみとなった週末、
ダンナが
「SFジャイアンツのゲームがった$6だって!」
と大声をあげた。

ジャイアンツゲーム観戦は
地元の子連れファミリーにとっても欠かせない
イベントの一つとなっているが、
ジャイアンツは3年前のワールドシリーズで優勝して以来、
成績が振るわないこともあって
観戦の話はここしばらく出ていなかった。

ダンナが見ていたオンライン・チケット売買サイト
需要と供給のバランスでチケットの値段が上下するので
直前になると余ったチケットが安く買えることで有名。

3年前はチケットの値段も高騰していたし、
人混みの中、
SF市内の最寄駅から球場まで歩くのも億劫だし、
などと理由をつけて
なかなか腰が上がらなかった私も
$6と聞いてちょっと心が揺らいだ。

友達家族もまだバケーション中だし、
特に予定もない週末だから
野球観戦もありかな、と。

そこへダンナがこう付け加えた。
「日曜日はハローキティ・イベントデーで、
先着20,000人にTシャツも配るらしいぞ」。

その一言で心が決まった。

「うん、行く行く!」

当日の8月6日、日曜日は昼前に家を出て
自宅近くのCaltrain 駅から電車に乗って
ジャイアンツ球場(AT&T ドーム)へ。

不調のジャイアンツのはずだったが
電車はかなり混んでいる。
お気に入りの選手の背番号がついたユニフォームや
チームカラーのオレンジやブラックの洋服を着たファンがたくさん。
娘もダンナもジャイアンツの野球帽をかぶっている。
地元民にはやっぱり愛着があるのだ。

終点のSF市内の駅から球場まで歩いて行く途中、
娘のクラスメートの家族にも遭遇した。
彼らはこの夏、もう3ー4回も観に来ているという。

そして球場に入場するとすぐ、
Tシャツを手渡された。
人数分、3枚もくれた。

サイズを選り好みしている暇はなく、
大人用のS x 2枚とM x 1枚で
娘には大きく、ダンナにはかなり小さかったが、
ジャイアンツのユニフォームを着たキティちゃんの絵が入った
レアなTシャツ(写真上)をもらえるだけでも
ものすごく得した気分。

すっかり気を良くして観覧席に向かった。
最後列から2番目の席だったが
そんなことはもうどうでもいい。

夏場は曇りや霧のかかった日が多いサンフランシスコだが
その日は珍しく快晴で暖かく、
球場から臨むサンフランシスコベイには
あわよくばホームランボールをキャッチしようとする
ファンを乗せたボートもたくさん浮かんでいて(写真下)、
リラックス感を高めてくれる。

幸いゲームも6-3でジャイアンツの勝利。
ピッチャー Samardzija がホームランを打ったり
挟まれたランナーが内野手のミスで生還したり、と
十分見ごたえのあるゲームでもあった。

私にとっては初めてのジャイアンツゲーム観戦だったが、
ジャイアンツがちょっと好きになった。
ゲンキンなものだ。

「ね、楽しいでしょ?」
と、過去に二人だけでナイターに出かけたことがある
娘とダンナもしたり顔。

次はミニオンズ・デーとかやらないかな。。。!

「また来年、来るからね」と約束してクラスメートとお別れ

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体験入学、2日目以降も
娘は意気揚々と学校に出かけて行った。

私も教室まで一緒について行くのだが、
私たちを見つけるなりお友達が
いつも元気に声をかけてくれるし、
一週間を過ぎた頃には
「学校が終わった後、一緒に遊んでもいい?」
などという誘いもかかるようになった。

友人の担任の先生からも、
「分からないことがあると机まで質問に来るし、
授業中に手を挙げて答えたりもしてるよ。
休み時間も私がはたらきかけなくても
みんなとどんどん遊びに行ってるし、
すっかり馴染んじゃったみたいね」
と、嬉しい報告があった。

一年生の漢字もマスターしていない娘には
書き取りの宿題も一年生レベルのものを出してくれたり、
何週間かかけて取り組んでいた図工の版画では
みんなに追いつくように
家で下絵を作る素材を持たせてくれたり、
彼女の気配りのおかげで
娘も大船に乗った気分になれたのだろう。

娘も毎日のように
学校での出来事を興奮気味に話してくれる。

「今日の給食はなんかのお魚だった。
デザートにはゼリーも出たんだよ。
ちょっと酸っぱいサラダは残しちゃったけど
あとは全部おいしかった」。

「休み時間、いつもはみんなでタイヤ跳びするんだけど
今日は先生も一緒にドッジボールやったよ」。

「プールの時、いつもはみんな地獄シャワーって言ってるけど
今日は暑かったから地獄じゃなかった」。

「来週は給食当番やらせてもらえるんだって。
楽しみだな」。

クラスのお友達から
お母さんの連絡先をもらって
プレイデートも2回ほどできた。

こうしてあっという間に3週間が過ぎ、
体験入学最終日となった。

その日、迎えに行くと、
娘はみんなが書いてくれたメッセージと似顔絵を綴じた
画用紙大の作品集(写真)、
みんなと一緒に完成させることができた版画や
習字の作品をきれいに台紙に貼ったものなど
思い出の品々を両手にいっぱい抱えていた。

「また来年も来るでしょ?」
というみんなの問いかけに娘は
「うん、来るよ」
と、迷うことなく返事をしていた。

「もうみんなに会えなくなるなんて寂しい」
と、夜になるとメソメソしていた娘だが
それほど楽しかったということなのだろう。

あきらめるどころか、来年以降も体験入学は
続けられそうだ。

みんなに数週間遅れて植えたホウセンカの鉢を持ち帰り
実家の庭に植え替えながら、
同級生のクラスに入れてもらえることになった偶然や
純粋な気持ちで受け入れてくれたクラスメート、
手間を厭わずに居心地の良い環境を作ってくれた友人に
思いを巡らせた。

今年はいつにも増していい夏休みだったなあ。。。

万全のプランニングでプチ留学再開

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夏休みには毎年、娘は体験入学という形で
実家近くの幼稚園や小学校に
短い間だけ通わせてもらっていた。

だが、1年生の一昨年の夏
お友達ができなかったり
校内で迷子になったりして
娘がすっかり自信を無くしてしまい、
去年はプチ留学をあきらめた。

さて、今年はどうしよう?

再開するなら早いうちでないと
日本語の授業についていくのも大変だし
友達の輪にもますます入りにくくなる。。。

と迷っていたところ、
高校の同級生で地元の別の小学校の先生をしている年賀状友達のことを思い出した。

学区外だけど、彼女に相談してみよう。

4月の終わりごろ、藁にもすがる思いでメールで連絡すると
「校長が教育委員会と相談の上、了解してもらえたよ。
偶然にも私は3年生の担任だからうちのクラスにおいで。
日本で楽しい思い出を作ってあげなきゃね」
との返事が来た。

もつべきものは友達とはこのことだ。

よくよく聞いてみると、
前にもうちのような体験入学の子どもを受け入れたことがあり、
学校にも外国人の親を持つ生徒が何人かいるようで
受け入れ態勢も整っているらしい。

算数と国語の教科書は購入することにしたが
それ以外は貸してくれるというし、
体操服も前の学校のものでOK、
お習字の道具やリコーダーも何とかしてくれるというから
ありがたい。

「前と違う小学校だけど、ママのお友達が担任の先生だよ」
と言うと、娘も
「ならその小学校に行く!」
とようやく前向きな返事。

前の小学校は実家から徒歩2分、
今度は車で20分だけど、背に腹は代えられない。。。

こうして7月4日、
私も娘も期待と不安いっぱいで初日を迎えた。

下駄箱にはすでに娘の名前が書かれたシールが貼ってあり、
娘の顔がパッと明るくなった。

上履きに履き替えていると、
「ねえ、xxちゃんとxxちゃんのお母さんでしょ?」
と、子どもたちが寄ってきた。
「xxちゃん、来たよー!」と大騒ぎ。

クラスで毎日、カウントダウンをしながら
娘が来るのを待っていてくれたらしい。
「教室は2階だよ」と、案内までしてくれる。

先生(友人)も加わってみんなで教室に行き、
ランドセルをロッカーに入れたり
お道具箱を机に入れたり
水筒を所定の場所に並べたり、
代わる代わるクラスメートたちが手伝ってくれる。

娘の前に座っている男の子などは
朝の会が始まっても後ろを向きっぱなし。
隣のクラスからも
「ねえねえ、xxちゃん来た?」
と教室をのぞきにくる子がいる。

そのあたたかい歓迎ぶりに
「ずっと教室に残っていてね」と不安がっていた娘も
「ママ、もう帰っていいよ」と、手のひら返し。

5時間目の学活の時間を使って歓迎会をやってくれるというので
少し早めに迎えに行って見学させてもらうことにした。

歓迎会は、全員の簡単な自己紹介や
フルーツバスケット(懐かしい!)のゲームなどで
大盛り上がり。

少しはにかみながらも
みんなに交じって声をあげて笑っている娘を見て、
私も涙が出そうになるぐらいうれしかった。

生きた日本語と日本文化を学んでほしいという私のエゴで
娘にかわいそうな思いをさせたかもしれない、と
自責の念にかられることもあったが、
そんな気持ちも一気にふっ飛んでしまった。

そして、いろいろ根回しや準備をしてくれた友人に心から感謝した。

これからの3週間は、
娘と日本との関係が
大きく前進するきっかけになりそうな予感がした。