カテゴリー別アーカイブ: 日本人ママとして

娘の日本語学校でママが先生になりました

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土曜日の忙しいアクティビティスケジュールについては
先日書いたばかりだが、
今年度から娘だけではなく
私も忙しい土曜日を過ごすことになった。

娘の通う日本語学校で教えることになったのだ。

授業の後、月に一度、オプションの書道クラスがあり、
私も娘と一緒に何度か参加していた。

日本語のクラスも受け持つその書道の先生が
「まだ内緒なんだけど、今年いっぱいで引退を考えてるの。
私の後、クラスを引き継いでくれないかしら?」
と、唐突に打診してきたのである。
2017年の秋ごろのことだ。

「あなた、ハキハキしてるし
きっと上手に教えられると思うの。
ちょっと考えてみて」。

もうお孫さんがその日本語学校に通っているというその先生は
家族の事情や体力的な問題から
そろそろ引退したいのだという。

まったく考えたことのないオプションだったが
直感は「やってみてもいいかな」、だった。

日本からの駐在家庭のお子さんやお母さんに
英語を教えた経験もあり、
言語教育については人一倍、関心はある。
日本語と英語という違いはあるが、
そこは少しずつ学んでいくしかない。

実際、日本語補習校
(日本の文科省や外務省の息のかかった
日本の学校のカリキュラムに沿った授業を行う学校)
をはじめとする近隣の日本語学校でも、
日本語教授法の資格を持っているなどという
教員はほとんどいないようで、
要はやる気の問題なのである。

2018年の春ごろに
「考えてくれた?やってくれるのよね?」
と聞かれた時、私は
「やってみます」
と答えた。

そのあと、学園長との面談や
模擬レッスンプランの提出などの
スクリーニングを経て、
無事(?)、採用が決まった。

この日本語学校は、
仏教会の建物を借りて運営している非営利団体で、
2019年に100周年を迎えるという
歴史のある学校だ。
教師は皆、お子さんが学校に通っているか
前に通っていたというお母さんばかり。

娘は、私が他の子どもたちをかまうことに
ちょっとヤキモチを焼いていたが、
しばらくすればそれもおさまるだろう。

夏休み中に担任クラスが決まった。

ひらがなクラスを終えたばかりの
2年目(小学校1年生ぐらい)の子どもたちと、
保護者が日本語を話さないため
ひらがな、カタカナもそこそこ、
ボキャブラリーが圧倒的に少ないという
3年目〜(小学校2年生〜6年生)の子どもたちの
2クラスだ。

こうして9月から
土曜日の朝は私も娘と一緒に
日本語学校に登校することになったのである。

日本人ママの3家族でおせち交換兼新年会

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あけましておめでとうございます。

アメリカで生活していると
この言葉ほどしっくりこないものはない。

プレゼントに大金を費やし、
家族が集って賑やかに祝うクリスマスが終われば
1月1日なんて単なる国民の祝日の一つに過ぎない。

今回はカレンダーがよかった(悪かった)せいもあり、
12月29日まで仕事をして
1月2日からまた仕事に戻るという人もざら。

私たち家族も年明けのカウントダウンを祝おうと
友人家族に招待され、日付が変わる瞬間にシャンペンで乾杯をしたが
彼女たちの新年のお祝いはそれで終了。

だが、やはり日本人の血が流れる私は
そういうわけにもいかない。

誰に頼まれたわけでもないが、
(娘にもダンナにもその発想すらない)
やっぱりお正月はおせちの一つでも作らなくちゃ、
と思ってしまう。

日系のスーパーに行けば
数の子や田作りなどのお正月食品も簡単に手に入るし
おせちの重箱の予約も受け付けているぐらいだから、
アメリカにいることを言い訳にもできない。

そんな日本人ママ友3人が集まって
去年からおせち交換を始めた。

分担して作ったり買ったものを持ち寄り
少しずつ分け合えば、
労力半分以下で豪勢なおせちが出来上がるという算段だ。

今年は、うちは1月2日から家族旅行に出かける予定があったので
当日作るお雑煮と味付け済みの数の子を買うだけしか協力できなかったが、
言い出しっぺの友人は丸々2日もかけて
お煮しめや伊達巻などの数々をすべて手作りしていた。

グラフィックデザイナーだけあって
盛り付けや色どりも文句のつけようがない(写真上)。

うちのお雑煮は母親直伝の九州風で
お餅はもちろん、鶏肉や里芋など具沢山(写真下・手前左)だが
それでもそれと数の子だけで
こんな本格的なおせちのご相伴にあずかることができるなんて
ちょっと恐縮してしまうぐらいだ。

今年は彼女の家で交換(というより持ち寄り)を兼ねた
新年会となったが、
おかげで少しお正月らしい気分にひたることができた。

かろうじて日本のおせち料理の伝統を引き継いだ
移住世代の私たちだが、
次世代の娘たちは引き継いでくれるだろうか
(3家族とも娘がいるにはいるが)。。。

「また来年、来るからね」と約束してクラスメートとお別れ

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体験入学、2日目以降も
娘は意気揚々と学校に出かけて行った。

私も教室まで一緒について行くのだが、
私たちを見つけるなりお友達が
いつも元気に声をかけてくれるし、
一週間を過ぎた頃には
「学校が終わった後、一緒に遊んでもいい?」
などという誘いもかかるようになった。

友人の担任の先生からも、
「分からないことがあると机まで質問に来るし、
授業中に手を挙げて答えたりもしてるよ。
休み時間も私がはたらきかけなくても
みんなとどんどん遊びに行ってるし、
すっかり馴染んじゃったみたいね」
と、嬉しい報告があった。

一年生の漢字もマスターしていない娘には
書き取りの宿題も一年生レベルのものを出してくれたり、
何週間かかけて取り組んでいた図工の版画では
みんなに追いつくように
家で下絵を作る素材を持たせてくれたり、
彼女の気配りのおかげで
娘も大船に乗った気分になれたのだろう。

娘も毎日のように
学校での出来事を興奮気味に話してくれる。

「今日の給食はなんかのお魚だった。
デザートにはゼリーも出たんだよ。
ちょっと酸っぱいサラダは残しちゃったけど
あとは全部おいしかった」。

「休み時間、いつもはみんなでタイヤ跳びするんだけど
今日は先生も一緒にドッジボールやったよ」。

「プールの時、いつもはみんな地獄シャワーって言ってるけど
今日は暑かったから地獄じゃなかった」。

「来週は給食当番やらせてもらえるんだって。
楽しみだな」。

クラスのお友達から
お母さんの連絡先をもらって
プレイデートも2回ほどできた。

こうしてあっという間に3週間が過ぎ、
体験入学最終日となった。

その日、迎えに行くと、
娘はみんなが書いてくれたメッセージと似顔絵を綴じた
画用紙大の作品集(写真)、
みんなと一緒に完成させることができた版画や
習字の作品をきれいに台紙に貼ったものなど
思い出の品々を両手にいっぱい抱えていた。

「また来年も来るでしょ?」
というみんなの問いかけに娘は
「うん、来るよ」
と、迷うことなく返事をしていた。

「もうみんなに会えなくなるなんて寂しい」
と、夜になるとメソメソしていた娘だが
それほど楽しかったということなのだろう。

あきらめるどころか、来年以降も体験入学は
続けられそうだ。

みんなに数週間遅れて植えたホウセンカの鉢を持ち帰り
実家の庭に植え替えながら、
同級生のクラスに入れてもらえることになった偶然や
純粋な気持ちで受け入れてくれたクラスメート、
手間を厭わずに居心地の良い環境を作ってくれた友人に
思いを巡らせた。

今年はいつにも増していい夏休みだったなあ。。。

万全のプランニングでプチ留学再開

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夏休みには毎年、娘は体験入学という形で
実家近くの幼稚園や小学校に
短い間だけ通わせてもらっていた。

だが、1年生の一昨年の夏
お友達ができなかったり
校内で迷子になったりして
娘がすっかり自信を無くしてしまい、
去年はプチ留学をあきらめた。

さて、今年はどうしよう?

再開するなら早いうちでないと
日本語の授業についていくのも大変だし
友達の輪にもますます入りにくくなる。。。

と迷っていたところ、
高校の同級生で地元の別の小学校の先生をしている年賀状友達のことを思い出した。

学区外だけど、彼女に相談してみよう。

4月の終わりごろ、藁にもすがる思いでメールで連絡すると
「校長が教育委員会と相談の上、了解してもらえたよ。
偶然にも私は3年生の担任だからうちのクラスにおいで。
日本で楽しい思い出を作ってあげなきゃね」
との返事が来た。

もつべきものは友達とはこのことだ。

よくよく聞いてみると、
前にもうちのような体験入学の子どもを受け入れたことがあり、
学校にも外国人の親を持つ生徒が何人かいるようで
受け入れ態勢も整っているらしい。

算数と国語の教科書は購入することにしたが
それ以外は貸してくれるというし、
体操服も前の学校のものでOK、
お習字の道具やリコーダーも何とかしてくれるというから
ありがたい。

「前と違う小学校だけど、ママのお友達が担任の先生だよ」
と言うと、娘も
「ならその小学校に行く!」
とようやく前向きな返事。

前の小学校は実家から徒歩2分、
今度は車で20分だけど、背に腹は代えられない。。。

こうして7月4日、
私も娘も期待と不安いっぱいで初日を迎えた。

下駄箱にはすでに娘の名前が書かれたシールが貼ってあり、
娘の顔がパッと明るくなった。

上履きに履き替えていると、
「ねえ、xxちゃんとxxちゃんのお母さんでしょ?」
と、子どもたちが寄ってきた。
「xxちゃん、来たよー!」と大騒ぎ。

クラスで毎日、カウントダウンをしながら
娘が来るのを待っていてくれたらしい。
「教室は2階だよ」と、案内までしてくれる。

先生(友人)も加わってみんなで教室に行き、
ランドセルをロッカーに入れたり
お道具箱を机に入れたり
水筒を所定の場所に並べたり、
代わる代わるクラスメートたちが手伝ってくれる。

娘の前に座っている男の子などは
朝の会が始まっても後ろを向きっぱなし。
隣のクラスからも
「ねえねえ、xxちゃん来た?」
と教室をのぞきにくる子がいる。

そのあたたかい歓迎ぶりに
「ずっと教室に残っていてね」と不安がっていた娘も
「ママ、もう帰っていいよ」と、手のひら返し。

5時間目の学活の時間を使って歓迎会をやってくれるというので
少し早めに迎えに行って見学させてもらうことにした。

歓迎会は、全員の簡単な自己紹介や
フルーツバスケット(懐かしい!)のゲームなどで
大盛り上がり。

少しはにかみながらも
みんなに交じって声をあげて笑っている娘を見て、
私も涙が出そうになるぐらいうれしかった。

生きた日本語と日本文化を学んでほしいという私のエゴで
娘にかわいそうな思いをさせたかもしれない、と
自責の念にかられることもあったが、
そんな気持ちも一気にふっ飛んでしまった。

そして、いろいろ根回しや準備をしてくれた友人に心から感謝した。

これからの3週間は、
娘と日本との関係が
大きく前進するきっかけになりそうな予感がした。

今や娘のお気に入りブランドに 森永&キューピー体験見学(2:キューピー)

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キューピーの見学施設は京王線の仙川駅にある。
この見学体験施設には『マヨテラス』という
可愛らしい名前が付いている。

建物の中に入ると、マヨネーズのボトルを横に倒したようなデザインの
展示室のようなものがあった。
入り口はもちろん、マヨネーズの絞り口と同じ星型だ。

そこはコースが始まるまでは立ち入り禁止と言われたが
他にもさまざまな大きさや服装のキューピー人形が飾られており、
娘は「かわいい!」と大興奮。

「お土産にキューピーちゃんをもらえたらいいのにな」。

「マヨネーズのサンプルぐらいはもらえるだろうけど
キューピーはどうかな?」

こうして、見学体験が始まった。

はじめに、先のマヨネーズボトルの中の展示室で
カロリーやフレーバーにより10種類ほどもあるマヨネーズのこだわりや
同社の販売しているドレッシングの使用前の正しいシェイクの仕方
(真ん中を持ち、両方にまんべんなく振る)などについて
説明を受けた。

そのあとツアーが始まるのだが、
実はこの施設は工場ではない。

だから実際にマヨネーズを作っている工程を見ることはできないが、
材料の重さを量る疑似体験ができたり
日本全体の消費量の10%を占めるという卵を割り、
白身を取り除く工程をビデオで見たり
その製造過程がよく分かるようなツアーになっている。

卵の殻はチョークになったり、白身は他の食品の材料として使われたり
無駄を徹底的に省くよう工夫されているのには好感が持てた。

マヨネーズの専門家になったような気分のところで
家庭科の教室を思わせるような部屋に移動し、
しめくくりの体験プログラム。

最前列にコンロやシンクが備わった講師用のテーブルがあり、
それに対面するように6人掛けX 6つのテーブルが整然と並んでいた。
また、各テーブルの上にはキューピーのマヨネーズやドレッシングがずらり、
それ以外にもゴマやからし、カレー粉などの香辛料や調味料が置かれている。

「テーブルの上にある材料を使って、オリジナルのドレッシングを作りましょう」。

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オリジナルドレッシングのサラダを試食できるよう、
小袋に入った野菜のパッケージが各自に配られた。

さっそく、インストラクターおすすめの
『マヨネーズ&マーマレードミックス』を作ってみたが
残念ながらあまり好みではなかった。

相性が良かったのはマヨネーズとゆかりだ。
二つの酸味が混ざり合ってなかなかの風味を作り出している。

ピーナッツなどのナッツ類のトッピングもまあまあかな。

私も娘もマヨラーなので、他のものとミックスするまでもなく
純粋なマヨネーズでじゅうぶん満足なのだが
たまにはこんなレシピもいいかも。

気の済むまでオリジナルドレッシング作りを楽しんだらツアー終了。

出口でもらったお土産には
マヨネーズとドレッシングが一本ずつ、
それに期待していたキューピーの人形がちゃんと入っているではないか!

娘は飛び上がらんばかりに喜んでいた。

森永とキューピーの見学体験をしてからというもの、
買い物に行くたびに娘は
「ママ、キューピーのドレッシングがあるよ」、
「これ、こないだ試食した森永の牛乳だよ」、
挙げ句の果てには
「ねえ、森永を買わないの?」
と詰問してくる始末。

やっぱり企業側もちゃんと考えてる。
小さい子どものうちにブランドをすり込ませておこうというのだろうが
こんなに効果があるものだな、と少し感心した。

こんな体験ができるのも有名企業や工場が集まっている東京ならでは。
わらにもすがる思いで参加したのだが
娘も私も楽しく充実した時間を過ごすことができた。

「I miss Japan.」
と、娘はこちらに戻ってきてからも時々、つぶやいている。

これに気を良くした私、
次回はJALか全日空の整備工場見学、と心に決めたのだった。