娘の仲良しさんのうち2人は4月生まれ。
Aちゃんの誕生パーティに呼ばれていたのだが、
Social Distancing でパーティは中止になってしまった。
そこでグループの一人がこんなことを言い始めた。
「パーティがあるはずだった日に
Aちゃんのお家の前にみんなで集合して
ハッピーバースデーの歌を歌ってあげよう」。
子どもたちが式次第や服装などについての
ビデオミーティングを重ねる一方、
母親たちも連絡を取り合い、集合時間などを調整。
ほとんどの子どもは車での送迎なしには
Aちゃん宅にたどり着けないため、
当日は親同伴のプチ集会になった。
集まったのは娘を含む5人(+その母親5人+父親2人)。
Aちゃんのお母さんが
事前に切り分けたバースデーケーキを2-3m間隔ごとに
地面に一列に並べてくれていた。
それに沿って全員が自宅で準備してきてきた
バースデー・メッセージ・ポスターを掲げると
Aちゃんのお母さんが本人を呼びに家に入った。
本人には知らせていないサプライズ・パーティだ。
Aちゃんが家から出てきたところで
みんなでハッピーバースデーの歌を歌い始める。
Aちゃんは一瞬びっくりした様子だったが、
照れたようにニヤニヤ笑いながら聞いている。
「ハッピーバースデー!」といっせいに声をあげたものの、
お誕生日ガールに駆け寄ることもできず
ハグをすることもできず
その場でそれぞれがケーキをほおばってお祝いした。
そして、誰からともなく
「お互いに近くに寄らないって約束するから
お散歩に行ってもいい?」と聞く。
1ヶ月ぶりにやっと会えたというのに
こんなにあっけなく終わりにしてしまうのが
物足りないのだろう。
Aちゃん宅は学校の近くにあることもあり、
懐かしい気分になったのかもしれない。
久しぶりにお友達に会えて大興奮している
子どもたちを引き離すのはかわいそうに思えたのか、
「6フィート開けるのよ」などと言いながらも
それを引き留めようとする親はいなかった。
そうして、約30分後に戻ってきた子どもたちを連れて
それぞれがまたShelter の自宅へ戻った。
その翌土曜日はMちゃんの誕生日。
Mちゃんのママからはあらかじめ
「家に閉じこもってばかりなので
ドライブがてら仲良しのお友達のお家を順番にまわろうと思っています。
ハッピーバースデーの言葉だけかけてもらえるかしら?」
とのメールが来ていた。
娘は、ガレージの前に小さなテーブルを置き、
おもちゃのケーキとコーヒーカップを用意して
パーティ気分を演出してあげたいという。
「あと15分で着きます」というメッセージをもらう1時間以上も前から
家の中と外を行ったり来たりしてそわそわしている。
知り合いから借りたという真っ赤なコンバーチブルで
Mちゃんファミリーがようやく到着、うちの前に停まった。
娘と私でハッピーバースデーの歌を歌った後、
娘が車の停まっている歩道まで出てプレゼントの入った小さな紙袋を置くと
Mちゃんのパパが降りてきてそれを取り上げ、
代わりに小さな箱を置いて行った。
中には、小さなホワイト・チョコレートケーキが入っていた。
ほんの数分のささやかなお祝いだった。
パーティ・テーブルを片付けながら
きっと、こんな光景がこれからあちこちで見られるようになるんだろうな、と思った。
Social Distancing という制約の中でも
こうやって非日常を楽しもうという
クリエイティビティと前向きさ(?)は
パーティ好きでソーシャルなアメリカン・カルチャーそのもの。
外出禁止だからと言って
すべての楽しみをギブアップし、黙って外に出られる日を待つなんてことは
あり得ないのだ。
非常事態宣言が出されても
株価が暴落しても
何とかなると思えるのは、
私もそんなポジティビティをもらっているからかもしれない。